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静かに忍び寄る危機 地球温暖化 (読み物)

地球温暖化

ここ最近毎日のように目にする「地球温暖化」。みなさんの身の回りには「何かおかしい」と感じることはありますか? 雪がほとんど降らない暖冬、観測記録を塗り替えるほどの異常気象。地球温暖化はすでに私たちの足元に忍び寄りつつあります。

地球温暖化に警鐘を鳴らし続けてきたアル・ゴア(元米国副大統領)とIPCC(気候変動に関する政府
間パネル)が2007年のノーベル平和賞を受賞したことは記憶に新しいところです。IPCCは地球全体で2100年頃には海面が18 〜59cm 上昇、気温は1.1 〜 6.4℃上昇すると予測しています*1 が、場所によっては海面がさらに上昇したり、暑さ寒さが極端になる恐れもあります。

46億年の地球の歴史が経験したことのないスピードで気候が変っているため、全ての影響を予測することはできません。日本でも大きな影響があるでしょう。現在、真夏日の日数は東京では45日、大阪では68日ほどですが2100年頃には50 〜 70日も増えるとか*2。

6〜9月は毎日が真夏日となれば、日本の四季はどうなるのでしょう?
すでに深刻さを増している地球温暖化 。原因は私たちの活動から出る大量の温室効果ガスです。
本来は大気を快適な温度に保つために不可欠な温室効果ガスですが、バランスが崩れているのが問題
です。日本では特に二酸化炭素が大量に出ており、政府や産業界では取り組みを強化していますが、私たち一人ひとりにもできることがあります。

私たちにできること

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*1 IPCC 第4 次評価報告書 2007 年
*2 東京大学気候システム研究センター、国立環境研究所、海洋研究開発機構地球環境フロンティア研究センター 2004 年9 月
*3 グリーンコンシューマー研究会「グリーンコンシューマー10 原則」 http://www.green-consumer.org/10gensoku.htm

初出:シーズンレターvol.3(2008年冬号) 

父の歩いた道

相田みつを(渡良瀬川にて)
相田みつを(渡良瀬川にて)

「つまづいたっていいじゃないか にんげんだもの」「雨の日には雨の中を 風の日には風の中を」「しあわせはいつも じぶんのこころがきめる」

父、相田みつをの作品です。誰でも一度くらいは、目にしたり耳にしたりしたことがあるのではないでしょうか。余計なものを削ぎ落とした短い言葉を、独特の書体で書いたものです。

父は、ある時は書家と呼ばれ、またある時は詩人と呼ばれます。書と詩(言葉)という二つの世界にまたがって作品を残したからです。書家で詩作をされる方は、実はあまり多くはなく、中国や日本の古典を書くことがほとんどです。また、詩人が自作を書にするということも、まれにはありますが、そんなに頻繁ではありません。

父は、詩を作り、それを自分で筆をとって書にするという仕事をしました。いわば自作自演ですから、音楽の世界で例えるなら、シンガー・ソングライターということになるのでしょうか。相田みつを以前にも、そういう仕事をした方はいたことでしょうが、近年、マスコミなどでは、書家・詩人というのは、相田みつをが元祖ではないかと言われるようになりました。それが正しいかどうかは別にして、とにかくユニークな存在であったことは間違いありません。

新しい門出(1960年頃)
新しい門出(1960年頃)

その父は、大正十三年(1924年)に栃木県足利市に生まれ、生涯をそこで過ごしました。若い頃から一貫して独特の書体と言葉で作品を発表してきましたが、世に知られるのはとても遅かったのです。今は、小中学校の教科書にも作品が載っているので、子どもたちもよく知っています。ところが、生前はそうではありませんでした。

父の仕事が世間の目にふれるきっかけとなったのが「にんげんだもの」(文化出版局)という本です。現在二百数十万部のロングセラーとなっていますので、どこかで手に取れらた方もいらっしゃるのではないでしょうか。それは父にとって初めての本でした。

では、何才の時に父は「にんげんだもの」を出版したのか? 実は六十才だったのです。それまで、父は長い長い無名の時代を歩いたことになります。父は「自分のデビューは、六十才だ。だから、これから本格的ないい書を書くんだ」と張り切っていたのですが、それから七年後、平成三年(1991年)に六十七才で亡くなってしまいました。

時(1989年)
時(1989年)

脳内出血という誠にあっけない最後でした。「一生勉強一生青春」という言葉を父は自分で書き、座右の銘としていましたが、息子の目から見ると、まさにその言葉通りに生きたような気がします。もし、今生きていたら八十三才ですから、まだ元気に筆を持っていたのではないでしょうか。

父が亡くなってから五年目の平成八年(1996年)に東京銀座に美術館ができ、現在は、縁あって有楽町駅前の東京国際フォーラムに移転しました。交通の便がいいこともあって連日大勢のお客様に来て頂いております。作品の前に三十分も、時には一時間もじっとたたずんでいる方も見受けます。ようやく父の作品が、本格的に受け入れられるようになったことを実感する今日この頃です。

著者:相田みつを美術館 館長 相田一人
初出:シーズンレターvol.2(2007年秋号)


相田みつをさんの詳しい情報はこちら
相田みつを美術館公式サイト

相田みつをメモ
自分の言葉、自分の書で”いのち”を見つめつづけた生涯書家・詩人として、誰のまねでもない、自分の書、自分の言葉を探求し続けた相田みつを。

戦中戦後の動乱期に青春時代を過ごし、“いのち”の尊さを見つめながら、独自のスタイルを確立し、多くの作品を生み出しました。

「私は書という形式を借りて、人間としての本来的なありよう、本当の生き方を語りかけているだけなんです・・・。」 

自分の弱さや甘さを正直にさらけ出し、人間である自分をあるがままに表現した相田みつを。
その作品は、いまを生きる人々の心の中に、あるときはしみじみと、またあるときは力強く語りかけてきます。